中学時代〜レフティに憧れて〜

なんだかサッカーへの熱が冷めてきた今日この頃。なんでだろうな

ふと過去のことばかりを思い出してしまう中年。

 

中学校3年間だけ、サッカー部に所属していた。

高校は写真部→バスケ部。小学生の時は運動は全くやっておらず劇団に所属。

中学卒業後も友達と遊びながらや会社の人とフットサルはしていたけど、毎日練習して試合して打ち込んでいたのは中学の三年間だけ。

 

サッカーとの出会いはきっと、93年(小学2年生の時かな?)にJリーグが出来てTVで観れたからかな。今は地上波では放送されていないけど、当時は放送されていたのでたくさん観ていた。やっぱり人並みにヴェルディ川崎の選手に憧れた。三浦知良武田修宏ラモス瑠偉・ロッサム・ペレイラ柱谷哲二菊池新吉石川康中村忠北沢豪ビスマルク都並敏史戸塚哲也藤川孝幸菊原志郎藤吉信次永井秀樹阿部良則、、、名前がすぐ浮かぶ。

Jリーグポテトチップス特典カードでヴェルディの選手が出るとメチャメチャ嬉しかったのを覚えている。あ〜ビスマルクだけ持ってなかったなぁ。ヴェルディのキャップとキーホルダー持ってたな〜親に武田修宏モデルの靴買ってもらったの超嬉しかったな。

何故かマリノスには勝てない。カズさんがアントラーズ古川昌明の海老反りでPK止められた、石川康さんがエスパルスシジマールにPK止められた、ビスマルクとラモスがヘディングだけでレッズのDFをかわしていくシーン、鮮明に覚えている。

Jリーグをテレビで観ていたけど、少年サッカークラブ等には所属しておらず、所属している友達を羨ましく思いながら、自分は唯一の習い事 「劇団(劇団日本児童)」に所属していて、それ以外はやっていなかった。

 

中学に入ると必ず何かしらの部活に入らなくてはいけなくて、サッカー部か吹奏楽部かで迷っていたけれどサッカー部を選んだ。音感がないので、我ながらこの時の選択は間違っていなかったなと思う。

しかし小学生時代全く運動をしてこなかった自分にとって、この三年間は地獄の日々だった。入学当初 身長143cm 体重48kg 体脂肪30%超えで超チョー肥満児。小学生時代は駄菓子屋に通い、家の中で漫画読んだりTVばっかり観ていたデブで出不精。

TVではサッカー観ていたけれど、オフサイドなどのルールやポディション名(ボランチ?ハーフ?シャドウ?)など全く分からない超初心者。あと「マイボー!!(マイボールの略)」って皆んなが叫んでいるの最初意味がわからなかったな。

同じように中学からサッカー始めて、同じように肥満児だったチームメイトが何人かいて少しだけ安心していた記憶がある。自分を含めた、健康診断で肥満と診断されたメンツに顧問の先生から「炭酸ジュース禁止」と告げられた。たまにこっそり家で飲んでいたけれど、基本麦茶や牛乳に換えてからみるみる痩せていったが、要因は炭酸ジュースだけではない気がする、、、あんだけ毎日走ればな。とは言え、やはりジュースに入っている砂糖の量は多いから飲み物って重要なんだなって今なら思える。

中学3年生の最後の健康診断は 身長163cm 体重 48.8kg 体脂肪18% で体重はほとんど変わらずに身長だけ伸びた。中2の時は毎日骨が伸びているのがわかるような感覚と、毎日とにかく腹が減っていた。

 

“3年間で痩せて良かったという話ではなく、三年間苦しかったというお話“

 

基本的に皆、小学校の頃からサッカーをやっている。同じように中学から始める(他競技からサッカーに変更する)人間は少数派。小学生の時に全く運動してこなかった自分は、50m走っただけでも息が苦しい・今すぐ休みたい・走りたくない、楽しくない。しかも入部してから気づいたのだが、この学校(埼玉県三郷市早稲田中学校)のサッカー部は近隣の学校の中では強かった(笑) 確か自分らの5・6個上の先輩達の代は全国大会に出場したらしい。それを知った時は漠然と場違い・関係のない世界だなと思っていたな。部員数も多くてAチーム(レギュラー・試合帯同)とBチーム(その他)に別れるし、当然Bチーム。リフティングも全然出来ないし、練習試合はミスして迷惑かけたくないと思っていただけ。

 

中学2年になると3年生が引退し、1・2年生だけの新チームとなる。

当然、Bチームのままだと思っていたんだけど、なぜだかAチームになってしまった。普通はAチームに上がれて喜ぶはずだけど、正直自分は嫌悪感と疑問しか抱いていなかった。毎日休まず練習には参加していたけれど、技術・体力的にもBチームに相応しかった。38歳になった今でもそう思っている不思議な体験談。何故なんだろう、、、唯一これのおかげかなと思えるのが、左足のロングキックが蹴れた事。中学生は身体の発育スピードの個人差が著しい。身体の成長とともにキック力も比例するのではないかと思っている。そんな中サイドチェンジ(45mぐらい)出来るぐらいボールを左足で蹴れることが出来たからAチームに選ばれたのではないか?うん、これしか思い浮かばない。きっとそうに違いない。けど、ボールを止めた状態では蹴れたけど、走りながら動きながらは蹴れなかったけどな。

 

右利きの自分が左足のロングキックが蹴れるようになったのは、、、

右足のアキレス腱を何度も何度も捻挫・挫傷を繰り返してインステップキック(足の甲部分で強い球を蹴るキック)が蹴れなくなり、仕方なく左足に切り替えたのが始まり。今思えばきっと小学生時代に運動してこなかったから、扁平足・足指の使い方・足首の柔軟性が悪かったのではないかと思う。

 

右足に絶望して左足の練習をしている時期に、今も憧れる人がテレビで大活躍。

現在は日本代表のコーチを務めている  『名波浩さん』

 

2000年アジアカップ中村俊輔さんのFKからダイレクトボレーでゴール。リアルタイムでTVで観てて、声上げて驚いたのを覚えている。まじでカッコいい♡  何年か前に、イベントのお仕事している時にお会いする事が出来た時は、ただの中学2年生の自分に戻った感じがして緊張しっぱなしだったな。

VHSテープに録画した名波さんのプレー(蹴り方)を何度も観て、真似して想像して左足のキックを練習した。左手首に輪ゴムを巻いて、普段の生活(扉を開けたり)でも左を使うように励んだ結果、左足で蹴れるようになっていった。

先天性の左利きではないので、あの左利きの人の独特の間合いみたいなのはわからないけれど、右足よりも左足で蹴る方が楽しいって感覚は味わえた。右足で蹴る時は、ボールの蹴る場所を意識するけど、左足の時は、蹴った後の軌道をイメージしながら蹴る。イメージした通りの軌道を描いたキックが蹴れた時は、最高に気持ちいいんだよなぁ。やはり右脳・左脳とか関係がるのだろうか。

左足でロングキックを蹴るのは楽しかったけれど、練習や試合が苦痛だったのは変わらず。

そしてポディションがMFから左サイドバックにコンバートされた。

なぜ?なぜ?why? 50m8秒台 100m17秒台 身長も低くて体力もない自分がサイドバック(日本代表だと長友佑都さんや内田篤人さんがやっていたポディション)? Bチームの中でも体力的に劣っている自分が?どのポディションも走れることは重要だが、よりによってサイドバック? サイドバックやった事ある人あるあるだが、めちゃめちゃ走るのが重要なポディションで無駄走りも多いところ。今なら視野が狭いからサイドバックなのは納得できるけど当時は全く理解が出来なかった。蛇足だが、西加奈子さんの小説『サラバ』の主人公が右利きなのに左足練習して左のサイドバックになったという一節があったのだけれど、読んだ際はこの上なく勘違い(西さんは僕をモデルにしたのかなぁ)をした(笑)

当時は自チームも対戦チームも4−4−2(中盤ダイヤモンド)のフォーメーションが主流で、サイドバックがマークするのは、相手右サイドハーフの人だ。

このサイドハーフをやる人は、足が早くて持久力がある人が多い。そんな人間をこの鈍足で体力のない自分がマークするわけだから裏を取られまくる。取られらにように距離を保つと好き放題やられる。あ〜もう嫌だ。

攻撃したら戻らないサイドバック。当然、チームメイトや監督に怒られる(笑)

 

ハーフタイム(休憩)の時、

「もっと悔しがれ!!負けず嫌いになれ!!だからレギュラーになれないんだ!」

っと、後輩達もいる前で監督に言われたけど、心の中で

「気持ちの問題じゃなくて、ただの実力不足なんだけどなぁ。というかレギュラー目指してないんだけどなぁ」 と思っていた(笑)

 

正直、試合に勝っても負けても思う事は一つで、

「疲れたなぁ、やっと終わったぁ♫」だ。

 

この頃中学2年生になったあたりから原因不明の過呼吸が出始めて、走るの本当嫌なんだよな。側から見れば全力でやってないように見えても、自分の心拍数は相当高かったはず。

勝っても、自分のおかげでは無いし、負けても試合の時しか会わない他校の人だし、、悔しいとかよりも早く終われ・ミスして怒られたくない・迷惑かけたくないとしか思えなかったから土俵に立ててなかったんだろうな。スポーツ向いてない人間なんだろうな、きっと。けど全く悔しい気持ちがないわけではなく、試合の他校の選手には感じなかったけど普段練習で一緒にいるチームメイトに抜かれたりしたら、ちゃんと悔しいという気持ちは持っていたんだけどな。 そういう所、今も改善されていないから駄目なんだろうな。

 

とは言え、半強制的に3年間打ち込んだおかけで、痩せて・真面目に取り組む事を覚え体験出来たので良かった。サッカーしてた事によって、中学卒業後もサッカーを通して友達出来たり、職場の人と仲良く会話出来るきっかけができたりした。怒られる事の方が多かったけど、ちゃんと褒めもしてくれた監督には感謝しかない。学生時代は良い悪い・向いてる向いてないがわからないから、強制的(少しの不自由)は大切なんだなって今なら心底思える。

 

とは言え、もう走るのはまっぴら。

でもいつの間にか纏わりついたこの脂肪達をどうにかしなくては。

公園でリフティングするぐらいが丁度いい?

いや、それすらもままならない。

頭のイメージは学生のままだが、体はちゃんと中年。

脚が上がらない、上手く蹴れない。

ボールより自分が転がってしまう。

どうしたらいいのだろうか。。。